今日の『バックストーリー』
感想めいた、観て思ったことを話そうと思います。割と長々とした内容になります。
「痛み」を、負っても負っても、まだ負わされるナァっていう人生だったように思う。
あまり大々的に話すことでもないのですが、深刻なPTSDのたぐいを負っています。
どれだけの暴力にさらされたら、人間はここまで壊れるのかっていうくらいの、症例だそうです。
現代医学をもってしても、たいして救うことが出来ない。
アメリカに渡ったら、ひょっとしたら治せるかも? くらいのやつ。ジョークみたいですよね。
正気を保って生きているのすら不思議だ。よく今日まで生き延びられたものだ。
医療の関係者にそう言われます。
(信じてもらえないのには慣れているので、信じてもらえなくてもいいです)
痛い痛い、と泣きたい日がたくさんあったことを思い出していましたが。
この頃ずっとであるように、今日もずいぶん痛かったし、自我を失いそうになっていた。
しんどい……みたいなんではなく、昏倒して気絶してしまうんですよ。物理的に、脳が耐えられないんで。
そうやって自分の痛みが他人を巻き込んでしまうことも怖くて、耐えられずに逃げ出してしまったことを、後悔しながら観ていた。
でも観ていて、思ったのは、
いや痛くないよ。いや痛くないよ。
自分の背負った苦痛も、確かにあるかも知れないけど、こんなん「痛い」と泣き言みたいに言っていたら、きっと罰が当たると思うんです。
若いころ、不思議に思っていたことが一つあります。
「なんで私の力は、世界を救える力じゃないんだろう?」
「え、全員救えるならそうするべきなのに、どうしてそれに十分なぶんを、私は持っていないんだろうな?」
ファンタジーマンガの読み過ぎだと笑われました。
具体的に、国境なき医師団だとか、フランス語の履修だとか、そういうことを言い出した私を見て、大人たちは困惑していました。
今でも、自分で俯瞰してみて、やっぱりそういうだけなんかもな。って感じます。いや、私、もう中年女性ですよ。
むしろちょっと歪んでいたのかもな。自分可愛さよりそっちを考えるとか、普通の思考じゃなかったよね。
笑い話みたいに振り返りながら、あとは静かに暮らしていく人生でした。
私はそうやって、穏やかな暮らしを全うするだけの、ちっぽけな小市民だったんですよ。
そんな私が、ある日出会った方は、同じふうに考える人だったみたいです。
そして私の、過去の恥ずかしい空想と笑い飛ばしてしまえるエピソード、そんな絵空事じゃなくて……。
本当にそれをやってのけるために、行動している方でした。
誰よりも強くなって世界全部を救ってみせるよ。
そんなファンタジーみたいなセリフを、恥ずかしげもなく口に、するわけではないけど、誰よりも純粋にその理想を信じている人だった。
理想を現実にしてしまえる人だった。
誰よりも背負った痛みと、誰よりも自分に課した試練を、涼しい顔で踏み越えて、世界全部を救えるくらいの力を、誰よりも高い場所を目指している人だった。
たぶん、同じ意味が、伝わったのかも知れないなって思います。
この物語のカラクリは、それが全部かも知れないです。
話を戻しますね。
痛いんじゃーって叫びたいことは、もう今さら騒ぐ意味もないほど、体に染みついているし(この文章はずっとファンタジーで例えてるから、まぁアレ、呪いみたいなもんって理解してもらったら、正確に近いです)、
なんだったら毎日増えている。
みにくいマルコみたいなもんです。
化け物は、人間の社会に受け入れてもらえないらしい。切々とそう感じています。
そんなやつが、でも、「痛い」って泣いていていいのかな。
いやもっと痛い人いるじゃん。
いやいや。こんな、私みたいな恵まれた立場の人間が、そんなん言ってる場合か。と思いました。
自分の力をどう使えばいいんだろう。
若いころ、子供じみた脳みそで、いっちょまえにそんなことを考えていました。
オマエ、なんも持ってないだろ。
今なら自分に向かってそう言えるし、何だったら、あのヒーローにそう言われたことが、この物語のはじまりのエピソードだ。
でも出来ないことがないわけじゃないです。
力が無いなら、手に入れに行け。『ゴミ人間』にはそう書いていた。
それを迷わない、強くなることを厭わない、守りたいなら、一番強くなりたいなら、痛みだろうが恥だろうが背負っていく、
その力こそが、「才能」なんだ。と。
何を話したいのか、よくわからなくなってきましたが、その方に出会った自分を、その方に信じてもらった自分を、恥じたくないので。
だから、この物語は、今日もまだしつこく続いているようです。っていうオチにしておきます。