『SA.』のテーマについて。

SA.のテーマってありまして。愛をうたった表現者の物語、っていうのが、こないだつけたキャッチフレーズみたいな?んだけど。
【テクノロジーはすべてを超えていく】。

テクノロジー、主人公のノゾムは、失いかけた命をテクノロジーで継ぎ接ぎして、 「半分、脳が機械になったサイボーグ」ですので。

ハガレン(鋼の錬金術師)との対比
というか、『SA.』は、ハガレンへのアンチテーゼなんです。意識して描いていまして。(ものすごく影響を受けたので、「じゃあ、自分はどんなふうに描こうか?」という発想から話を考えた)

ハガレン=テクノロジーの否定
SA.=テクノロジーの肯定

テクノロジーはすべてを超えていく。
社会正義も、倫理も、道徳も、分をわきまえなさいと押さえつける声も。
「あなたたちの存在は社会悪です。だから、倫理の名のもとに私たちが窘めている。分をわきまえなさい」というのが、ローズマリーたち弾圧者の言い分なんです。

ノゾムが「物理学を武器とする」意味
物理学=神の創りし摂理さえ、解き明かそうとする人間知性の営み。野心、挑戦。
それを武器とする意味は、「誰も、俺の創るもんに文句は言わせない。もう二度と」という、彼自身の宣言。
世界に反旗を翻している。

倫理の名のもとに、暴力を振るわれ、命より大事な右腕を失った。殺されかけた。
それに反旗を翻している。

だから、テクノロジーに助けを借りた。自分を生かそうとするのは、「世界」ではなく、「自分の意志」だった。それは人間が前を向こうとする力。その意志の前には、皆が語る社会正義など無力だ。

物理学は時に、「傲慢だ」「自然に従って生きるのが、人間だ。ちっぽけな取るに足りない生命だ」という価値観と相反する。
ノゾムは明確に、叛逆する。世界に対して、社会に、ことわりに対して。
それが表現者という生き方。

誰にも文句は言わせない。

神の創りし、ことわりさえ、武器とする。
テクノロジーの申し子。
自然に従って生きるということは、「逆らわない」ということ。受け入れること。
大人しく黙って、たまるものか。

テクノロジーとは。人間の野心。
人間であること、生き物であることも、いわばノゾムはやめた。
生きなければならないから。それが、世界に対する叛逆であっても。
(そうだとしたら、ある意味、彼は「存在を否定されている」。)

テクノロジーはすべてを超えていく、という主題をここで反芻したい。
社会正義も、倫理も、道徳も、分をわきまえなさいと押さえつける声も。暴力も、痛みも、悲しみも、無力も、超えていく。すべてを超えていく。
テクノロジーとは、人の創りしもの。超えていくのは、神の摂理ではなく、人だ。
想像力。創造はすべてを超えていく。人の創りしもの――表現の力で。