安全な生活が確保できたので、作品作りをそろそろ再開しようと思います。
何から、と思うけど。まずデッサンの練習とかかな……。どこかでイラストレーターとして働くなら、やっておいて損は無い。
イヤ、生きる糧なら他の方法もあるかも知れないが、一番生存率の高い選択肢だと思う。
正直者なので話しますが、上がっていた話も、面接から行かないといけない。頑張ってきます。
あとBlenderの練習をしておこうと思って、今朝は『アナと雪の女王』に釘付けになっている5歳児(映画大好き)を膝にのせて、テキストを読んでいました。
読んだらだいたい頭に入る。触ったら覚える。物覚えが遅い方ではないと思います。
んで、この話題は時々していて。「物覚えが早い」=理屈を飲み込む、という意味合いなら、べらぼうに速いんだと思います。
「数学が得意」「勉強が得意」とか、そういう意味合いで言った方がいいな。
ここのルサンチマンは、向き合わないといけない自覚があるので、きちんと向き合おうと思って、この記事を書いています。
少し前に、「それ、みっともないぞ」って指摘されたことがあったので。
学業成績が、良かった。というより、異常だった。
どうしてこんなに勉強が出来るヤツがいるのか? という意味で「化け物」呼ばわりされたことがある。
「学生時代に、優秀だったのヨ」という自慢にするには、たぶん、そういうこっちゃなくて、おかしな家庭環境で、全然勉強に身が入らなくて、毎日学校でも、塾でも、ずーっと居眠り。宿題はやってこない。どこに行っても教師に目をつけられました。
にもかかわらず、誰も敵わないレベルの成績を出していた。今でも、アレは何の力だったんだろう? と不思議に思います。
当然、大人たちには過剰に期待され、自分でも「最高学府に合格して、見返してやる」って思ったんだと思います。
とはいえ、環境が整うわけでもなく、結局、メンタルを壊して逃亡したっていうのが、私の転落の始まりでした。「転落」っていま、言えたのは、勇気です。
学業で期待されていた人間が、その結果を出せなかったら、「もう役に立たない」という立場になるのは不思議では無いです。不当だ、とも思いますが、当然の帰結ともいえると思う。
この国は、敷かれたレールから一度転落した人間に、トコトンまで優しくない。
(※昼間の記事は、そのニュアンスで書きました。誤解を生んだようで申し訳ないです)
学校を出られないなら、就職も出来ない。
いや、健康なら出来るかも知れないが、メンタルがやられて、二度と立ち上がれなくなった人間には、無理です。
その現実を山ほど目の当たりにしてきました。
SNSが流行りだした頃に、たぶん、私のそのルサンチマン、というか、全身を埋め尽くすルサンチマンが、暴走していたんだと思います。
「不当だ」と呼ぶなら、そうでしかない暴力は、山ほどありました。
でも、実際に「負けてしまった人間」としてここにいるのは、私でした。どこにも、不当だと証明する理屈も存在はしなかった。
悔しかったろうと思います。
他人事みたいに言ってるのは、そういう感覚が、症状としてあるので。
ただ、ありとあらゆる暴言を、SNSに投げつくした、と振り返れば思う。そのことを今は反省しているし、仕方が無かったと弁明する気もありません。
誓って言うのは、他人に向かって誹謗中傷の形で攻撃したことはありません。
でも、「意見」のつもりで言ったことが、人様の怒りを買ったことは、数えきれないほどありました。
自分に酷い態度をとった相手のことも、仕返しのように何度もあげつらった(それを中傷と呼ぶなら、私のその行動は最低だったと思っています。取り返しがつかないことだと習っています)。
きっと、言葉尻がとげとげしくて、高飛車で、空気が読めなくて、感情的で、そういう私の言葉に傷ついた人が大勢いたと思います。申し開きすることは出来ません。
最近も、今も、同じことが起こり続けているな……と自覚しているので、どうしたら誰も傷つけずに済むだろうって考えています。
話は戻りますが、「過去に学業成績で、結果を出していた」ということを、さかんにアピールするようになったのも、この頃です。
どうしてか、理由はわかっています。
「それしか無かったから」です。
他に何も無いからです。自分の価値を言いたくても(表現したくても)、何も無いからです。
アピールすればするほど、その空虚な響きに、悲しくなっていきました。
ちなみに、模試で全国何位をとった、とか、時々書いていましたが、正確な数字ではない。
なぜなら、「何位をとった」ということをステータスにするほど、当時も今も、興味がなかったからです。正確に順位なんか、覚えていません。今書いて、ハッキリと思いました。
自分の、過去の高い学業成績に、たいして興味は無いです。忘れてもいいくらいの、ただの過去の出来事です。
なんで、特に興味もない自分のごく一部を、そこまでひけらかさなきゃ、いけないんだろう。
それしか無いから。「私」は、それしか無いから。悲しいですよ。
だから、「絵を描く」というテーマに出会ったのは、私にとって、どれほどの幸せだったか、という話なんですよね。
絵を描く。物語をつくる。表現者として生きる。
最高じゃないですか。自分の気持ちが欲しがる生き方が、そのまま自分の価値になる。「私」が、生まれた瞬間でした。
その中で、学ばないといけないことが、たくさんありました。
先に話したデッサンとか。学問や理屈として学んで、役に立つことは、絵の技術だけではなく、他にもたくさん。
先生に(みんなと一緒に)教わっているビジネスのこともそう。学べば学ぶほど、力になる。
そのときに、おやと思ったんです。
「これ、得意だぞ」と。吸収が、人より速いんだなと気づいた。
さらに、練習を根気よく積み重ねることとか、「どうしたら、ここの問題を解決できるか?」と問う姿勢とか。それに対してアイデアを提起してみる力とか。
え、これ、得意じゃん。
そう気づいたら、ますますその能力の質は向上を始めました。歯車に乗った感じがしました。
やがて、その力は、私が大昔に置いてきた、別に欲しくも無かった力だってことを理解しました。一度も役に立つことがなかった、持ち腐れた才能でした。
ようやくたどり着いたんだなと悟った。
綺麗な結論を書くことも出来るかも知れないですが、この感じで、まとめにしたいと思いました。
ちなみに、『SA.』の主人公のノゾムさんが、「俺、これしかないからなー」と自嘲気味に呟くセリフがありますが、メタファーです。
あのシナリオは8割がたくらいはメタファーで構成されています。
最後に、「順位なんか覚えてない」と言ったら、嘘八百なんだろうと騒ぐ人がいそうなので、確実な一件を挙げておくと、満点なんだから一位でしかないだろう。っていう事実を添えておきます。
【追記】
たのむ!! 一番勇気を出して書いた段落が、一度公開したタイミングで編集ミスった;;;なんで;;
ホンマじゃ信じてくれ!!