『第3話 STRAYARTIST -LONELY JOURNEY GOES ON-』

    【シーン01:冒頭】

    ナレーション:
    「世界暦3124年」

    石造りの建物が並ぶ、エキゾチックな土地。抜けるような空と乾いた風。
    理髪店、水たばこの喫茶店、果物屋――ごみごみした街には、ターバンを被った男性が行き交っている。女性の姿は少ない。乱雑に干された洗濯物の間を、小走りでどこかに向かう、一人の少女(カトレア)。割れた眼鏡を、テープで修繕したままかけている。

    少女が向かっていたのは、空き地の「配給所」だった。急ごしらえの看板に、現地の言語で書かれている。この地域の政治を取りまとめる「公社」のジャンパーを着たボランティアスタッフが、弁当を配っている。

    「配給、ごくろうさまです!」
    気のよさそうなボランティアスタッフは、少女の姿を見ると、気さくにピラフを大盛りにした。
    「育ち盛りだろ おまけしといたよ~」
    「ありがとうございます」

    カトレアはふところからメモを取り出して、確認する。
    (あと…… お父さんのひげ剃りクリームか……)

    ナレーション(カトレアの語り):
    「この街の生活が苦しくなって ずいぶん経ちますが
    何が起こっているのか 私たちには知る由もありません」

    カトレアが住む、この中央アジアの街。いつからとも知れず、近隣で小規模な戦闘が続いている。やがて街中にも兵士はやってくるようになり、時に銃撃戦が繰り広げられるようになっていた。食料品や日用品も品薄になり、多くを公社の配給に頼っている。
    若い少女であるカトレアも、歩くときは、視線を避けるようにうつむくようになった。

    カトレアが次に向かったのは、市場《マーケット》。必要なものを買わなければならない。ものものしい情勢下、街の中心部で時間を決めて開かれている。闇市と呼んでも差し支えなかった。
    この場所は、さすがに人通りが多く、常にざわざわとしている。だけど、広場の大時計を見上げると、タイミングが遅かったようだ。

    ふと、市の終わった広場の壁際に、一人の旅人がいることに気づいた。身なりでわかる。このあたりの人間ではない。大きな麻袋を地面に置いて、壁に何かを描いている……?
    逆光で顔は見えない。近づくと、自分と歳の変わらないくらいの少年であると気づく。

    (絵だ……。めずらしい)


    【シーン02:邂逅】

    「ん」
    少年(ノゾム)が気づいて、振り返った。

    「……これ 面白い?」
    「はい……」
    珍しそうに、まじまじと見つめるカトレア。ノゾムは理解した。
    「ああ 初めて見たのか」
    カトレアが目を見張っている対象は、ノゾムの「右腕」だった。絵を描くマシン、『デバイス』。

    「絵ってこう……絵具とか筆で……」
    「まー それもやるけど」

    コンピュータ音を響かせながら、ノゾムの「右腕」からいろいろなギミックが伸びて、壁に絵を描いている。空中にエアモニターも浮かんでいる。まるで電子端末だ。
    見ていると、動きはスムーズで、カトレアが知っているような、流しの絵描きが画板に描くものとはまったく違う。

    「……速いんですね」少し、圧倒される。
    「そりゃ武器《デバイス》っていうくらいだから、絵具よりは速いよ」
    「それにこれ、量子演算できるように改造してるから」
    聞きなれない単語。ノゾムは「右腕」を見つめながら、こともなげに続ける。
    「俺のスペシャルなマシン。KAGRAの重力波全天図もインストールしてる」

    カトレアが会話についてこれていないのを察したらしい。
    「わかる?」「??」
    聞かれても……。
    「こっちの脳《アタマ》には、一般相対論《Einstein》くらいしか残ってないけど……」
    ノゾムは視線を頭上に向かわせて、一瞬黙った。
    「リッチテンソルばらしたら、計量《メトリック》は514項。わかる?」
    何気にドヤ顔である。カトレアは真顔で首を振った。
    [出典:https://eman-physics.net/relatively/ext_g.html]

    ノゾムが絵を描いているのは広場の壁で、強い日差しがちょうど遮られる場所になっている。もちろん、街はそこかしこが壊され、修繕の憂き目にあっているので、ポールを渡した三角コーンが並んでいた。
    そのコーンが置かれていない場所をわざわざ選んで、腰を下ろすノゾム。おあつらえ向きに大きな石があったので、麻袋からペットボトルを出しながら、足を投げ出した。

    「師匠にも言われてたんだけどさ 俺、これしかないからなー」自虐のように呟くノゾム。
    「お師匠さん……」
    ぱちぱちと、割れた眼鏡の奥の大きな目が瞬く。カトレアは興味をひかれたらしい。
    「絵《ソレ》の先生ですか」
    座って水を飲んでいるノゾムの横の壁に、手持ち無沙汰にもたれかかりながらたずねてきた。
    「うん 世界一のアーティスト」

    ふいに、ノゾムのお腹が鳴る。カトレアの手元の弁当(ポリ袋)を、物欲しそうな視線が見つめている。
    「それ 欲しい 食べたい」
    「はっ」
    カトレアはコミカルに飛び上がった。
    (ああ…… 巧妙な追いはぎさんでしたか……)
    (このあたりも、治安悪くなってるのに……油断しました わたしったら……)
    一人で納得して、弁当を差し出す。「どうぞ……」

    けれど、ノゾムは真面目な表情で、財布を取り出して言う。
    「いや、売って下さい。買います」
    「マーケット、閉まってて……」
    なるほど、と納得する。10:00~12:00という、壁の張り紙がある。


    【シーン03:少年と少女】

    ノゾムがカトレアに渡した小銭。弁当の値段より、ずいぶん多い。ノゾムはジャケットを脱ぎながら、笑顔で告げた。
    「あんたのゴハンなくなるから」
    「うまい 一日ぶりだ」
    使い捨てのスプーンを握って、かっこんでいる傍らの少年を眺めながら――カトレアは、気づく。あれ? さっきの「デバイス」を右手に装備したままで――
    「その手……」

    「……義手?」思い至った答えを呟く。
    「そうだよ」あっさりと返ってくる。

    「元の腕、もげたんで。移植して一体化してんの」
    「あと、なかみ《傍点》もちょっと」ノゾムが軽く、自分の身体を示す。
    「義体《サイボーグ》だよ」
    「………はぁ」
    カトレアは気の抜けたような相槌を打つしかない。

    (なんだか いきなり……)
    (途方もない話が……次々と……)
    若干、戸惑ってしまった。この怪しげな少年と、このまま話していていいものだろうか。

    さらに食事を終えたノゾムが、荷物の中から取り出したものを見て、カトレアは衝撃を受ける。薬物だ。慣れた手つきで、自分の左腕に注射している。
    「ちょっ」「違法ですよ!!」
    ひそひそ声で、注意した。どういうつもりなんだ。

    だがノゾムは、一瞬の沈黙の後、申し訳なさそうな作り笑いで言った。
    「……これないと、繋いでるとこもたないんだよ……」
    「継ぎ接ぎしてるから、生きられないんだ」
    「見逃して! な!」
    デバイスの義手で、「ごめん」のポーズをとる。出自の地域がなんとなくわかる仕草。この人が礼儀正しいのは知っている……。
    よく見ると、その左手には、痛々しい注射跡がたくさん残っていた。昨日のぶんだろうか、絆創膏も。

    カトレアはうつむいて、黙るしかなかった。どういう事情の持ち主なんだろう……。
    立ち入ったことだとは思いながら、たずねてみた。

    「ご家族は? いらっしゃらないんですか……?」
    「妹がいるよ。なまえ 夕凪《ユウナギ》」吐く息が白い。
    「さいご会った時4歳だった」

    言いながら、写真を取り出して、見せてくれた。メダルを掲げる生意気そうな少年と、小さな女の子。この子がユウナギさんか。
    「かわいいですね!」思わず出た感想を、素直に告げる。
    「隣に写っているのは……昔のアナタですか」
    「うん、大会の時の……」

    弁当についていた、デザートのプラムをかじっていたノゾムが、少し逡巡してから、自分の方を見ずに、言った。
    「それやるよ」
    「えっ? 大切なものじゃ?」
    「いいんだ。データで焼いてあるから」

    空が青い。雑踏のざわめきが遠い。
    「……帰ってないんですか」

    少し下を向く。自分の足元を確かめるような気持ち。苛烈な感情を言葉にすることは、いつも迷いと隣り合わせだ。
    それでも、この少女には、正直に話したいと思う。向かい合いはしないけど、自然とまなざしが強くなる。
    「……」
    「師匠追いかけてる。追いついて来いって言われたから」

    「いや……言われては、ねーかな……」
    訂正するように、言い直した。ノゾムが、勝手に追いかけているだけだ。少し切なくなる。その気持ちを見抜いたかのように、カトレアは遠慮するような声で、でもはっきりと聞いた。
    「……どんな人ですか?」
    「さっきも言ったろ、世界一のアーティスト」

    「あと、ちょっと俺に似てる人」
    染まった頬の、照れ隠しのように、腕を頭の上で組む。カトレアは黙って聞いている。
    「あんたは……」

    「俺の昔のカノジョに似てるよ」
    冗談のつもりだけど、本当の気持ちも、少し隠した。昔――ノゾムが憧れていた、「師匠」の秘書で恋人のシヅル。話し方や雰囲気が似ている。
    「えっ!」
    カトレアは真っ赤になって、でもすぐに、
    「やですよ……一目ぼれですか……私の魅力に……」と。照れながらゴニョゴニョ言っている。
    「はは、そういうとこ」
    笑ってしまう。自分の言葉を、空想を、馬鹿にしたりせずに受け止めてくれる。そっくりだな。


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