『第2話 楽園の崩壊』

    【サブタイトル:Calling You】

    【シーン01:逃げ惑う兄妹】

    遠く、近く、サイレンが響いている。街はすでに火の海だった。何が起こっているのか、知っている大人は誰もいなさそうだ。
    ノゾムは、わけもわからないまま、4歳の妹ユウナギの手を引いて、人気のない街道を逃げていた。穀倉地帯を縦断している牧歌的な街道――ノゾムがいつも自転車で走っている道だ。師匠のもとに向かう時も、買い物に行くときも。
    師匠の家との境になっている森には、何人かの兵士が銃を持って、見張るように通信を取り合っていた。そんな状況では、師匠とシヅルに助けを求めようにも、出来ない。火にまかれる前に、幼い妹を連れて逃げるしかない。
    ネットワークを介した通信も傍受されているかも知れない。そもそも、何が起こっているかもわからないのだ。

    東《イースト》ソレイユタウン――もしくは、極東地区全体が、彼ら制圧軍の手に陥ちたということは、のちに報道される。情報統制が敷かれている。そのことは、この世界暦3121年現在、抗いようの無い地球規模の事実だった。

    「にぃにーッ にぃにー!」
    ユウナギが泣きじゃくっている。ポシェットには、お気に入りのウサギのぬいぐるみを突っ込んでいる。それしか持って出ることが出来なかった。
    ノゾムは右手にデバイスを抱えていた。ユウナギ同様、命の次に大事な宝物を持って逃げた。だけど、重い。
    「にぃにーー だっこーー!! だっこ、わぁーん」
    「ユウ、ごめん……早く逃げよう」
    右手がふさがっている。せがまれても、抱っこできないのだ。

    「師匠、ししょー……どこに行ったんだよ……」
    「わあああん」

    子供二人では、何も出来ない。岸壁まで走ったが、気力の限界だ。恐怖に竦んでいるのはノゾムも同じだった。
    (あの、大会の時みたいに身体が動けば)
    (普段通りに動いてくれるだけでいいんだ)
    必死の鼓舞も空しいだけだ。師匠(リョウ)は避難を先導しているのだろうか。あの人は、非常事態なら、きっとそうする。自分たち兄妹は優先的に庇ってもらえるような立場ではない。

    『アーティスト』の聖地。この町には、最強の武闘家《アーティスト》リョウがいる。彼を慕う門下生たちは、世界中から集まってくる。
    だけど彼らの力は武力ではない。『デバイス』は殺傷兵器ではない。
    蹂躙されたとしても、返り討ちにすることなど、出来ようもない――。

    サイレンに交じって、制圧部隊の足音が迫ってくるのがわかる。ノゾムとユウナギは抱き合いながら震える。
    幼い兄は、さらに幼い妹を、ただ、庇うように抱きしめることしか出来ない。


    【シーン02:リョウ登場】

    夜闇の向こうに、チカチカと何かが瞬いた。その光は一瞬で、空に鮮烈な軌跡を描く。地上から撃たれているようだが、華麗にかわしながらこちらに向かってきた。
    「師匠」リョウだ。携行移動用デジタルアーティファクト、「ホロウィング」。足元に生えた羽根のように、空中戦が可能になる。座標と動きをピタリと合わせる必要があり、高度な技術が必要な達人技である。リョウは飛び道具――プロジェクタイルの使い手だった。まるで魔術のようだとも謳われている。

    ノゾムとユウナギを庇うように立ちはだかった「英雄」に向かって、制圧部隊の構える小銃が次々に火を噴く。
    乱射の音がおさまると、一発たりとも当たってはいなかった。リョウの『雷刃』の光学ニブを中心にして、魔法陣に似たシールドが張られている。

    兄妹のピンチに駆けつけたリョウに、ユウナギは、
    「おじちゃーーん」
    泣きながら駆け寄ってしがみつく。なだめるように抱きしめながら、リョウはノゾムにも声をかけた。
    「よく守った」

    しかし、三人が顔を上げると、制圧部隊は銃を構えて、自分たちを取り囲んでいた。リョウが静かに、だが怒りを滲ませながら、言う。
    「刃を持たない表現者に、銃を突きつけるのか、貴様らは」

    兵士たちの会話は、公用語だが、訛りが強い。傭兵だろうか、とリョウは考える。
    医師のような、研究者のような身なりの女性が、兵士たちを制しながら前に出てきた。サンプルがどうのと、聞きなれない用語が飛び交う。名札には「Rosemary.Y」とある。

    「港湾地区は制圧したわ。あとはここだけね」
    リョウが交渉を持ちかける。
    「子供たちの安全を約束してくれるなら、話し合いに応じる」
    「捕虜の人権保障は国際紛争条項第13条で定められているはずだ」

    だが、ローズマリーは威圧的な姿勢のまま、ため息をつくような声で言い捨てた。
    「貴方達のその奇怪な力はテクノロジー? それともファンタジー?」

    「空想譚《ファンタジー》なら化け物《モンスター》がいてもいいわよね」
    「!!」
    「サンプルは2台、収容所に送るのは3体……? その小さい子は? まぁいいわ」

    リョウとノゾムには最悪の事態であることが理解できた。この紛争では、『アーティスト』は、人権さえも蹂躙されるのか。「人ならざる化け物」として。
    何らかの口実に違いないだろうと、リョウはすでに疑い始めていた。
    幼いユウナギは、ただ怯えている。

    誇り高い表現者が、今、まさに、理不尽な弾圧の牙にさらされているのだった。
    自分たちが、もっとも否定すべき、暴力に。


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